最後にフィギュアスケートの歴史についてお話したいと思います。
フィギュアスケートの競技では数年単位でルールが変更されていきます。
フィギュアスケートは進化しているスポーツなのです。
また、基本にバリエーションを加えることで独自の技を編み出す選手もいます。
基本さえ正しければ無限に広がる夢のあるスポーツ、それがフィギュアスケートです。
そんなフィギュアスケートの歴史とは……
1.発案者の名前が技の名称になる
スケートの歴史は古く、日本では下駄にブレードを付けて滑っていたという事実があるほどです。
とはいえ、これらはスケートを滑るという歴史であり、フィギュアスケートだけに絞ると日本にやってきたのは明治後半くらいです。
このような歴史には知る人が多いと思いますので、ここでは別の角度からフィギュアスケートの歴史を掘り下げたいと思います。
さて、選手が独自に作り出した技、その技には発案者の名前がつけられていることを知っていますでしょうか。
たとえば、誰もが知っているアクセルジャンプ、こちらはノルウェーのアクセル・パウルゼンさんがはじめて跳んだとされ、そのジャンプの名前がアクセルとなりました。
ジャンプはほかにもルッツがそれにあたります。
オーストリアのアロイス・ルッツさんが跳んだことで、そのジャンプのことをルッツジャンプと呼ぶようになったとされています。
このように編み出した人の名前が付けられていると思うと、技に愛着も生まれます。
技が認められることはとても難しいことで、それでいて名誉でもあると思います。
技に歴史あり、考案者の思いを今も引き継がれている素晴らしいスポーツがフィギュアスケートです。
2.昔は意外と地味だった
今のフィギュアスケート競技は、ショートプログラムとフリープログラムとがあり、同じ選手が違った曲と構成で魅了させてくれます。
華やかで優雅で、時にはダイナミックな大技を披露してと何度見ても飽きないものです。
しかし昔、それほど昔ではないのですが、今の競技方法になる前は意外と地味だったのです。
フィギュアスケートにはバッチテストというものがあります。
決められたことを手本通りにやるのですが、円をトレースしたりとかなり地味。
図形滑走というのですが、世界選手権では必須課題とされていました。
この地味な図形滑走が1990年まで行われていました。
結構最近だと感じる方もいるでしょう。
今の若手には記憶がない方がほとんどですが、選手育成に励むコーチやよりわかりやすく解説してくださる元選手の方の中には、経験した方も多くいらっしゃいます。
体力的なことを考えれば日付が変わるとはいえ2曲分の構成を毎年更新しなければならないのは、当事者の方にとっては負担となることもあるのではと考えます。
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