日本では「ベリーダンス」という名で親しまれている妖艶でエキゾチックなダンス。その歴史は古く謎に満ちています。その神秘のベールに包まれた起源と歴史を紐解いていきたいと思います。
1.実は…ベリーダンスではないのです
「ベリーダンス」という呼称は近代西洋におけるもので、アラビア語圏では(東方の踊り)という意味を持つ「ラクス・シャルキ」、エジプトでは(自然の・国産の)という意味を持つ「バラディ」と呼ばれています。
1893年のシカゴ万博で紹介され「ベリーダンス」という呼び名が欧米諸国に広まりました。
これには「バラディ」の聞き間違えではないか?という説と「お腹(Belly/ベリー)のダンス」だからという説があります。
2.ベリーダンスの起源と歴史を紐解いてみましょう
世界最古の踊りと言われ、8000年も前から踊られてきたというベリーダンスですが、発祥の地やその起源についてははっきりとした記録はなく、国によって異なった歴史背景もあるため、実は様々な説が存在しています。
1.古代インドのジプシーによって伝えられた踊り
ひとつは古代エジプト地方が起源だとする説ですが、アラビア語圏ではラクス・シャルキは「東方の踊り」と呼ばれています。
どうやらこの東方の踊りという呼び名とベリーダンスの動作の中にヒントがあるようです。
もしかしたらベリーダンスの動作の基礎には古代インドからのジプシー移民が関係しているもしれません。
6世紀~7世紀にかけて、インド北西部のラジャスタン地方から移動してきたジプシー達が与えた影響のひとつという説で、ベリーダンスの動作には首を左右にスライドさせたり、身体の使い方のいたるところにインドをイメージさせるものが織り込まれているのです。
2.オスマントルコ帝国が広めた豊穣神崇拝の踊り
もうひとつは古代オリエント時代から続く、母体信仰を起源とした豊穣神崇拝の祭儀的な踊りで、オスマントルコのアラブ支配の中でアラブ全域に広がっていったのではないかという説です。
絵画ではオスマントルコ王宮の奥深いハーレムで踊る、女性達の姿が残されているものもあるようです。
3.イスラム教による迫害によってストリートへ
7世紀に入るとイスラム教の影響で、歌や踊りは魂を惑わすものとして迫害されてしまいます。
そんな中、宮廷を追われストリートへ出ることを余儀なくされた人達は「エジプトから来た者」という意味を込めてGypsy(ジプシー)と呼ばれ、苦難の旅の中でダンスや演奏を繰り広げ、現地の文化と融合しながらラクス・シャルキは伝えられていきました。
4.ベリーダンスの種類とATSの進化と可能性
現在のベリーダンスは大きく宮廷系、ジプシー系の他にニューエイジ系と呼ばれる「ATS(アメリカン・トライバル・スタイル)」の3つに分けることができます。
ATSでは打ち込みによるアラビック音楽や、ヒップホップやロックなどの他文化との融合、多彩なファッション性など様々なカルチャーを吸収して独自の世界観を作り上げる「トライバル・フュージョン(民族文化融合)」として成長を続けています。
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