意外と知らないバレーの歴史について

クラシックバレエはこの500年ほどの間に生まれ発展していった芸術舞踊です。

バレエはどのように世界で普及し、日本に伝わり、現在私たちの身近な文化となったのか歴史から辿ってみたいと思います。

1.ロマンティックバレエからクラシックバレエへの歴史

クラシックバレエは16世紀のイタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで発展し、日本に伝わってきました。

15世紀イタリアの宮廷で踊られていた「バッサダンツァ」から「バロ」に発展して、バレエのステップの起源となりました。

ルネッサンス期のイタリアで生まれたバレエは、王侯貴族の宮廷舞踊と変わらないもので、動きもテクニックも今とは異なっていました。

フランスへ広まるきっかけは、イタリアのメディチ家の娘のカタリーヌがフランスに嫁いだことでした。

フランス王ルイ14世が大変なバレエ好きだったために、バレエはフランスで宮廷文化の華としてオペラと共に育まれ、ピエール・ボーシャンが考案した「5つのポジション」によって基礎技術を確立した、と言われています。

1713年、パリ・オペラ座バレエ学校が世界で初めて創設されました。
パリ・オペラ座バレエ団の起源となる王立音楽アカデミーを創設(1661)したルイ14世の命により、職業舞踊手育成が目的でした。

宮廷から劇場へと場を移して発展するにつれ、プロの素養と技術を備えた専門家の育成が要請されたからです。

18世紀後半から19世紀初頭にはパリ・オペラ座バレエ団の団員を育成するという目的も明確化され、ロマンティック・バレエ(ロマン主義)の時代が到来します。

19世紀頃には、ポアント(トウシューズ)の技術が確認されていますが、1832年に初演された「レ・シルフィード」の中でロマンティック・チュチュを着て、ポアントで幻想的な踊りが披露されたのが最初とされています。

妖精や悪魔が登場する幻想的なものや、エキゾチックなものが多く、軽やかな動きをするのがロマンティックバレエの特徴です。

1876年になると、バレエ学校は前年に竣工したガルニエ宮(パリ・オペラ座)に統合されました。そして、バレエの発展の拠点がロシアに移行していきます。




1738年には現在も有名なワガノワ・バレエ・アカデミーがロシア初の帝室音楽演劇舞踏学校として設立されます。

これからおよそ100年後に訪れたマリウス・プティパによって、「眠れる森の美女」、「くるみ割人形」、「白鳥の湖」などストーリー性のある不朽の名作はロシアで生まれています。

マリウス・プティパは、チャイコフスキーと、現在世界中で愛され続けるクラシックバレエ(古典主義)を確立したのです。また、技術面でも、飛躍的に発展します。

かつて、女性が脚を人前にさらすことはご法度でしたので、衣装のスカートは、くるぶし丈まであるロマンティック・チュチュだけでした。

しかし、踊りのテクニックが発展するにつれ、動きやすさに加え、ダンサーの鍛えた美しい脚や脚さばきが良く見えるように、衣装のスカートは長いものからどんどんと短くなり、腰のあたりで垂直にピンと張った形が特徴の衣装、クラシック・チュチュが誕生していきます。

衣装の変革とステップの複雑化により、大きなジャンプや回転の見せ場もますます増えていき、主役が一人で踊るものから、男女2人で踊るグラン・パ・ド・ドゥの様式も成立しました。

このような歴史的背景から、現代に伝わるクラシックバレエの技法と教育法はロシアで確立していったことが分かります。

2.日本のクラシックバレエの歴史

ロシアで発展していったクラシックバレエが日本に伝わったのは大正元年(1911年)と言われております。
東京で初めて上演されたのは「白鳥の湖」の全幕公演でした。

昭和32年(1957年)にはボリジョイバレエ団がモスクワから来日し日本で初めて海外バレエ団による公演が行なわれました。

翌年、1958年には日本バレエ協会が設立され、日本におけるクラシックバレエの発展、育成が行われています。

2018年現時点で、日本では国立のバレエ団は新国立バレエ団1つのみで、世界各国におけるクラシックバレエの普及と推進のレベルに比べると、芸術活動が決して盛んとは言えないのが現状です。

元々が西洋文化でしたが、今後、日本からも世界各国に通用する歴史に名を残すような素晴らしいバレエダンサーが多く誕生するように国を上げて支援が広がっていくことが期待されます。




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