国民的フィギュアスケート選手と言えば浅田真央でしょう。 トリノオリンピック出場を期待する声もありましたが 、ISUの年齢制限に87日足らないため代表の資格を逃しました。しかし2000年代から2010年代にかけて最も活躍した日本のフィギュアスケート選手です。
1.浅田真央
浅田真央は 1990年9月25日 愛知県名古屋市に生まれました。 名前の真央は父親が女優の大地真央のファンであったことに由来します。尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどりエフゲニー・プルシェンコです。伊藤みどりの衣装を着用して競技に挑んだこともあります。
浅田真央といえば3回転アクセルではないでしょうか。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは伊藤みどりと浅田の二人だけです 。
2000年-2001年シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子 ・樋口美穂子の両コーチに師事、 小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転フィリップ-3回転 ループ-3回転 トゥループのコンビネーションジャンプを跳び「天才少女」と呼ばれました。
全日本選手権では、2000年から2004年のA・Bクラスで それぞれ2連覇を達成しました。
2004年-2005年シーズンはジュニアグランプリで出場した3戦全てで優勝し、ジュニアデビューを飾りました。そこでは 女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。
国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となりました。そして世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしました。
2005年-2006年シーズンは初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では優勝、日本代表選手として2人目の優勝を果たしました。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功しましたが、他のジャンプにミスがあり2位となりました。世界ジュニア選手権でも2位です。
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移し、2006年-2007年シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。
GPファイナルでは2位に終わっています。全日本選手権は初優勝、2007年世界選手権はショートで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得しました。
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組み、2007年-2008年シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝、GPファイナルで2位、全日本選手権では2連覇を達成、2008年四大陸選手権で初出場初優勝、その後の世界選手権では逆転優勝。
2008年-2009年シーズンはGPファイナルで3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本では3連覇を達成世界選手権では総合4位となった。 シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。
2009年-2010年シーズンは エリック・ボンパール杯は2位、 ロステレコム杯は5位に終わっている。全日本選手権では4連覇を達成、四大陸選手権は優勝、バンクーバーオリンピックでは、銀メダルを獲得し、世界選手権ではオリンピック金メダリストのキム・ヨナを破って2年ぶりに金メダルを獲得。
2010年-2011年シーズンは新しく変えたジャンプに苦しみ、GPシリーズ2大会とも表彰台に上れずファイナル進出を逃した。1か月後の全日本選手権では総合2位となり、四大陸選手権では安藤に次いで2位となった。そして連覇のかかった世界選手権では色々な影響により総合6位に終わった。
2011年-2012年シーズンはGPシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本人選手最多となるGPシリーズ8度目の優勝を果たした。全日本選手権は2年ぶり5度目の優勝を果たした。四大陸選手権ではショート・フリーともに3回転アクセルに挑戦したが、どちらも回転不足と判定され総合2位、世界選手権ではミスが重なり総合6位に留まる。
2012年-2013年シーズンは中国杯 、NHK杯とGPシリーズで連勝、 だがNHK杯後に疲労から 発症した腰痛が悪化し、完治しないままの臨んだGPファイナルでは4年ぶり3度目の優勝を果たした。全日本でも2度目の2連覇と6度目の優勝を果たした。四大陸選手権では 205.45点で3年ぶり3度目の優勝を飾り、世界選手権では総合3位で3年ぶりの表彰台に立った。
2013年-2014年シーズン、スケートアメリカで優勝 シングルの選手でファイナルを含むグランプリシリーズで全7大会を全て制したのは、史上初で全体を通じても2組目である。続く NHK杯も2連覇 、ファイナルでは歴代最多タイ記録となる4度目の優勝を果たした。
2.ソチオリンピックとその後
ソチオリンピックでは団体戦のショートで冒頭のトリプルアクセルを失敗し3位。女子シングルのショートプログラムでも転倒が相次いで16位と大きく崩れた、だが、翌日のフリーでは冒頭のトリプルアクセルをクリーンに着氷し、また女子史上初となる全6種類計8度の3回転ジャンプを着氷し142.71点と自己ベストを更新し3位となった。
2014年5月19日に 2014年2015年シーズンの全試合出場を見送り1年間競技生活の休養を発表した。そして1年後に公式ブログにおいて現役続行の意を明らかにした。
2015年2016年シーズン、2015年ジャパンオープンで競技復帰し141.70点という高得点をマークして女子1位となり、ISUグランプリシリーズ復帰戦となる中国杯を優勝で飾り、NHK杯では3位。
グランプリファイナルに進出 するも総合では6位、その後の試合では 思うような結果が出せず、2017年4月10日競技選手としての現役引退をブログで表明し、長い選手生活に幕を下ろした。
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