世界からみるとスキーの歴史は古いですが、日本においてはそこまでではありません。
言われてみればそうですよね、お侍さんがスキーを履いているのはちょっと想像できません(笑)。
鎖国が開かれ、西洋文化が入ってきたころから、日本にもスキーの歴史が始まりました。
1.レルヒ少佐
日本でスキーを広めた人物は、オーストリア人の『レルヒ少佐』という人物と言われています。
(スキーはそれより前に入ってきてはいたようですが。)
そもそも、この方なぜ日本に来たかというと、日露戦争に勝った日本について軍事研究のため、『交換将校』という名目で来日しました。
新潟に来たレルヒ少佐は、日本の軍人10余名にスキーを伝授し、それが日本のスキー普及の第1歩でした。
かつてスキーは杖が1本の滑り方と2本の滑り方があり、レルヒ少佐は1本方式で指導していました。
昔の資料を見ると、スキーはテレマークのようにかかとが動くタイプのようですね。
ところが札幌のほうで2本杖が普及しており、初めて全日本大会が開催されると2本杖の選手が圧倒的に早かったようで、それ以降1本杖方式は衰退してしまいました。
2.日本人は2回大会から
日本人が冬季オリンピックに初めて参加したのが第2回、スイスのサンモリッツ大会です。
競技数自体も少なかったですが、日本選手団はノルディック競技に男性6名、役員1名という小規模でした。
1.初のメダルはアルペン競技
日本選手が初めて冬季オリンピックでメダルを獲得したのが、コルタナダンペッツォ大会(1956年)。
男子回転で猪谷千春さんが銀メダルを獲得しました。
里谷多英さんのモーグルをフリースタイルとして別にすれば、アルペンスキーでのメダルは猪谷さんが唯一、ということになります。
日本人はよく『体格差』と言われますが、アルペン競技はまさにそれ、日本人のメダル獲得というのはとても難しいのです。
体格差の明確な違いは別の機会にお話することにします。
3.カービングを世に広めたのは日本人
カービングスキーが初めて開発されたのは1990年代、スノーボードをヒントに作られたそうです。
それまでは長いスキーが主流だったのが、自分の身長ほどの短いスキーで滑るというのはあまり受け入れられません。
しかしそのパワーを世に知らしめたのは日本人選手の皆川賢太郎さんです。
この方、奥様も有名人、元モーグル日本代表の上村愛子さんです。
体格差で劣っていた皆川さんが、カービングに目を付け始めた時、周りの外国人選手には「こんなオモチャみたいなスキー」と言われたそうです。
しかしカービングスキーを履いてのワールドカップ入賞を機に、一気に知名度を上げた皆川さんは、『アルペンスキーの革命児』として、世界的にも有名な方なんですよ。
今や当たり前にみんなが使用しているカービングスキーは、皆川さんのあらゆる努力と創意工夫があってこそ、なのかもしれないですね。
コメント