メリーモナークフェスティバルをご存知ですか。
メリーモナークフェスティバルとは、数あるフラダンスの競技会の中で最大の規模を誇り、また最も歴史が古い、フラダンスの最高峰とも言われる競技会です。
フラダンサーなら誰もが一度はこの目で見てみたいと思っているのではないでしょうか。
そのメリーモナークフェスティバルについて、基礎知識からちょっとしたエピソードまで、ご紹介したいと思います。
1.メリーモナークフェスティバルとは
まず、メリーモナークフェスティバルの基礎知識から紹介します。
1.メリーモナークフェスティバルとは
メリーモナークフェスティバルは1964年に開かれた第1回では、今のような競技会形式ではありませんでした。
1960年にハワイ島ヒロを襲った大津波により、町は壊滅的な被害を受けました。
3年たってもなかなか復興は進まず、町は3分の1の規模に縮小、経済も立ち行かない状態が続いていました。
そこで計画されたのが、ハワイ中の人々をヒロに集めるための観光誘致として開くフェスティバルでした。
メリーモナークフェスティバルは1971年から今のような競技会形式になり、その後年を追うごとに規模は拡大され、現在では20組以上の男女のフラチームが出場し、3日間に渡って多くの観客を集めるフラダンスの祭典として定着しています。
2.メリーモナークフェスティバルの名前の由来
メリーモナークとは英語で「陽気な王様」という意味です。
このニックネームを持っていたのが、ハワイ王朝第7代目の王様、デイヴィット・カラカウアです。
カラカウア王は欧米のキリスト教宣教師らによって禁止に追い込まれていたフラダンスを復活させ、西洋音楽や楽器を積極的に取り入れることで新しいハワイの音楽と踊りの流れを生み、フラダンスを消滅の危機から守って来たいわば『フラの恩人』です。
ハワイの人々はそのニックネームをフェスティバル名にし、大切に育ててきたのです。
3.メリーモナークフェスティバルの日程
メリーモナークフェスティバルは毎年、その年の暦によって日程を変えます。
フェスティバルの開催期間は、アメリカの祝日、復活祭の日から1週間と決められています。
復活祭は春分の日の後に訪れる満月の日の直後の日曜日のことをいいます。
アメリカでは日本のように春分の日が毎年変わるわけではありませんが、月の暦は変動するため、復活祭の日は毎年変わるのです。
ですから、メリーモナークフェスティバルの日程も毎年違ってきます。
フェスティバル中の1週間には、ハワイ島の各地で様々なイベントが開催されます。
オープニングイベントに始まって、地元のハラウがフラを披露したり、ハワイアンミュージックのライブが行われたりします。
またクラフトフェアなども開催され、ヒロの町はお祭りムード満載になるようです。
そして、最後の3日間がメインイベントのコンペティション。
1日目には、ミス・アロハフラ部門、18歳から25歳の未出産の女性だけが出場する、ソロ部門です。
2日目はグループ部門の、カヒコ、3日目はグループ部門、アウアナが競われます。
そして最終日のその日の日中には、盛大なパレードが開催されます。
前々日に決まったミス・アロハフラや、ミス・ハワイ、その他地元の名士たちがパレードに参加します。
とても見ごたえのあるパレードのようです。
2.ホイケ・ナイトとは?
メリーモナークフェスティバルのメインのコンペティションの前日には、ホイケ・ナイトという前夜祭が開かれます。
このホイケ・ナイトには、地元ヒロのハラウ、タヒチアンチームなどと共に、なんと日本のハラウが参加します。
毎年、群馬県の伊香保温泉で開催される「伊香保ハワイアンフェスティバル」のコンペティションで優勝したチームがホイケ・ナイトに招かれるのです。
これは、伊香保温泉がある渋川市に「ハワイ王国公使別邸」があることが縁で、渋川市とハワイ州ハワイ郡が姉妹都市提携を結んでいるという背景があるからなのです。
意外なところに意外な縁があるものなのですね。
コメント