意外と知らない合気道の歴史について

連日放送される強盗や傷害事件などのニュース…身を守る為や護身以外でも強く健康な身体を手に入れたい、そんな考えから武道や格闘技に興味のある方が増えています。

そんな中で、合気道という単語を聞いた事がある方も多いのではないでしょうか。

「身体が強くなるのは良いけど、見た目が変わり過ぎるのはちょっと…。」

「練習とはいえ人に対して拳を向けるのは嫌だな…」

「勝ち負けの世界は少し敬遠したい…」

「体格が良い訳ではないから大きな人には勝てないよな…」

「武道って男の人がやるイメージがある」

そんな方に人気がある武道、それが「合気道」なのです。

1.合気道とは

聞いた事はあるけど何をするのかは分からない、よくそう言われるのが合気道です。

近年は有名な格闘技漫画などで合気道の達人という設定を持ったキャラクターが出てきたりもしましたが、具体的な内容は殆どの方が知らないのではないでしょうか。

海外では神秘の武術と言われる合気道ですが、どの様な歴史を持つのでしょうか。

今回はその歴史や成り立ちを紹介します。

2.合気道の歴史

合気道設立の歴史とは、開祖 植芝盛平 の人生の歴史を知る事に繋がります。

本当に数え切れない程の様々な功績を残された人ですが、合気道設立の大きな出来事という点に絞りつつ抜粋していきます。

明治16年 植芝盛平が和歌山県田辺市にて生誕

明治41年 柔道や剣術を学び、柳生新陰流免許を受ける

大正元年 北海道開拓団体募集に応じて北海道の現遠軽町へ移住

大正4年 同地の旅館にて大東流合気柔術の達人、武田惣角に出会い入門

大正5年 秘伝奥義の免許を授かる

大正9年 父危篤の知らせを受け帰郷(同年に父が死去)、その後京都府綾部に移住




大正9年 綾部の地にて「植芝塾」道場を開設

大正11年 武田惣角が綾部を訪れ、目録「合気柔術秘伝奥儀之事」及び「大東流合気柔術教授代理」の資格を授けられる。この頃より自身の武術を「合気武術」と称する。

昭和6年 皇武館道場を設立、別名鬼道場と呼ばれる猛稽古があったそうです…

昭和15年 財団法人皇武会として厚生省より認可を受ける

昭和23年 財団法人合気会として改めて文部省の認可を受け、正式に「合気道」が名乗られる

設立されてからの歴史は、他の武道と比べると比較的新しいのかもしれません。

しかし、年表にもある通り、様々な柔術や剣術を習得し奥義を手にしています。
技術の粋を集めて、進化した武道と言えるでしょう。

3.開祖の逸話

植芝盛平という人物にはとても沢山の逸話があり、全てはとても紹介しきれません。

数ある逸話の中でも私が特に驚いた逸話を紹介します。

「飛んでくる狙撃銃の銃弾を避ける」

敵が銃弾を発射する直前に見える「光のツブテ」を避けることで敵弾から逃れたと言います。

何だそれ…と突っ込みたくなる逸話ですが、目撃者も多数いる為、作り話・誇張表現の類ではないでしょう。

そして「光のツブテ」と表現されていたこの現象は、他の逸話にも登場します。

「剣道教士の木剣を素手でことごとくかわし続け、相手が疲労困憊で戦闘不能になる」

教士とは剣理に熟達し、識見優秀なる者…素手で太刀打ちなど出来る相手ではありません。

しかし、この対峙の際にも「相手の木剣が振り下ろされるより早く、白い光が飛んでくるのを感知していた」とされています。

直線的な射撃だけでなく、軌道を描く斬撃すらも通じない…正に達人の持つ神業と言えるのではないでしょうか。




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