伊藤みどり | フィギュアスケートの有名選手名鑑

伊藤みどりは、1992年のアルベールビルオリンピック女子シングルの金メダリストであり、1985年から1992年まで全日本選手権8連覇を成し遂げました。当時の日本のフィギュアスケート界を引っ張ってきた選手です。

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1.伊藤みどり

1969年8月13日生まれ、日本の元フィギュアスケート選手で愛知県名古屋市出身です。身長は145cmと小柄ですが、彼女が跳ぶトリプルアクセルは高さと迫力があり素晴らしいものでした。コーチは山田満知子です。

フィギュアスケートにおける過去の伊藤みどりの成績は、1992年のアルベールビルオリンピック女子シングルで銀、1989年パリ世界選手権では金、1990年 ハリファックス世界選手権では銀、1984年札幌 世界ジュニア選手権では銅メダルでした。 1988年カルガリーオリンピックでは5位入賞1985年から1992年まで全日本選手権8連覇です。

女子選手として世界初の3回転アクセルや3回転-3回転の連続ジャンプに成功しました。 そして、1989年に最も高得点をとったフィギュアスケーターとしてギネスブックに記載され 2004年には日本人として初めて世界フィギュアスケート殿堂入りを果たしました。

2007年には国際スケート連盟は「伊藤はたった一人の力で日本フィギュアスケートを21世紀へと導いた」との声明を発表しました。

伊藤みどりは3人兄妹の真ん中で兄と妹がいます。スケートを始めた頃は、全日本選手権を 8連覇した渡部絵美に憧れていました。12歳当時の将来の目標はオリンピックや世界選手権でのメダルを取る事、夢はアイスショーに出演することでした。

10歳の頃から早朝、深夜の練習のためコーチの山田満知子の家に寝泊まりするようになり、中学2年の時には山田コーチ宅に住むようになりました。




小学生の時は偏食でガリガリに痩せており、肉と野菜は一切食べず、魚のさんまといわし以外はほとんど食べませんでした。成長期・思春期に入ると変色は治り、肉が好物になったものの、今度は体重管理に苦労しました。

中学時代には右足首を2度骨折していて、最初の骨折は体重が1年で9キロも増加してジャンプの着地で足首に大きな負担がかかったのが原因でした。

骨折以外の怪我や事故も含めて1992年に引退するまでの治療回数は500回にも上りました。性格は新しいもの好きで負けず嫌いする為、反復練習は嫌いでした。

中学時代には、伊藤みどりの才能に着目した西武鉄道グループのオーナーである堤義明の経済的支援を受ける様になりました。高校時代には アメリカへのスケート留学の誘いがありましたが山田コーチの元に残る事を選びました。

プロに転向してからも人気のあるフランスや 北米のアイスショーへの出演の話もありましたが、日本のプリンスアイスワールドでのプロの活動を選びました。

2004年に元劇団四季所属のミュージカル俳優の八巻大と結婚しましたが、2006年に離婚その後、2009年9月に一般男性と再婚して北九州でスケートの教育指導をしています。

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2.伊藤みどりの技術

少女時代から「ジャンプの申し子」「ジャンプの天才」などと呼ばれ、海外セレブからは「津波ガール」「台風ガール」とも呼ばれ、中学生の頃には5種類の3回転ジャンプを習得していた。ジャンプの高さはピーク時には64㎝を記録した。

しかし、フィギュアスケートで大切な演技の表現面では評価が低かったため、高校時代にバレエを習い表現力を向上させ、「東洋の真珠」「氷上の舞姫」とも書かれた。




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