荒川静香 | フィギュアスケートの有名選手名鑑

2006年のトリノオリンピックのフィギュアスケートで 美しい技であるイナバウアーで有名になった選手といえば荒川静香である。この時のショートが得66.02点 、フリースケーティングが125.32点、 トータルスコアが191.34点とISUパーソナルベストスコアで金メダルを取りました。

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1.荒川静香

フィギュアスケートにおける荒川静香の主な競技成績は、2006年トリノオリンピック女子シングル金メダル、2004年世界選手権優勝、1997年・1998年全日本選手権2連覇、2003年ユニバーシアード冬季大会・冬季アジア競技大会・2004年NHK杯優勝。2004年GPファイナルは2位などです。

1981年12月29日東京都品川区で生まれ、サラリーマンの父と幼稚園教諭の母のもと、神奈川県鎌倉市で育てられました。名前の静香は鎌倉に縁の深い静御前に因む。

父親の転勤に伴って宮城県仙台市に移転、2000年春に上京して早稲田大学教育学部に入学し、卒業後の2004年春よりプリンスホテルに所属、2013年12月29日に一般男性と結婚したことを発表、2014年11月6日に第一子長女を出産しました。

5歳の時に遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち、ちびっこスケート教室に入会しました。小学1年生の時、 オレンジワン泉、現在のアイスリンク仙台で長久保裕の指導の元、本格的にフィギュアスケートを始めました 。

小学3年生の時に5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれ、小学校5年生で第1回野辺山に参加しました。

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2.過去の成績

小学校6年生で全日本ジュニア選手権に初登場し、7位となりました。また1994年に初めての国際大会であるトリグラフトロフィー に出場し優勝を果たしました。
1994年、中学1年生で2度目の全日本ジュニア選手権に出場し優勝、以降この大会で史上初の3連覇を果たしました。同様に全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成しました。

1995年中学2年生で出場した国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させてシニアの部で優勝、 1997年中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特別出場し、村主章枝に次いで2位に入りました。




シニアへの完全移行1年目の1997年-1998年シーズン、第66回全日本選手権でライバルの村主らと競い合う中、高校1年生で初優勝を果たした。1枠しかなかった長野オリンピックと1998年の世界選手権の代表の座を勝ち取りました。

自身初のオリンピック出場となる長野五輪女子シングルでは、ショートで14位、フリーで14位、総合で13位になりました。 そして同じく初代表だった1998年世界選手権では、ジャンプのミスが続いて総合22に終わっています。

フィギュアスケートの1998年-1990年シーズン、第67回全日本選手権で2連覇を果たし1999年アジア冬季競技大会では2位、 1999年四大陸選手権で6位、1999年から2000年シーズンは不調で低迷となった。

自己推薦入試で早稲田大学に進学 2000年-2001年シーズンはプリンスクラブに在籍、染矢慎二に師事し、初めてマンツーマンでのレッスンを経験しました。このシーズンからプログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたと言います。第69回全日本選手権は2位でした。

2001年-2002年シーズンからは佐藤久美子に師事。全日本選手権では村主に敗れ総合2位に 四大陸選手権では2位となった。

2002年-2003年シーズンは佐野稔に師事、 振り付けはニコライ・モロゾフに依頼した。2002年末の第71回全日本選手権で3位、年明けのユニバーシアード冬季競技大会、冬季アジア大会で立て続けに優勝、さらに四大陸選手権では2年連続の2位、初進出のグランプリファイナルでは4位となった。

2003年-2004年シーズンは本格的にアメリカに練習場所を移し、キャラハンコーチの元で練習を続けた。GPファイナルを含むGPシリーズ4戦全てで表彰台に上がり、全日本選手権3位ながら世界選手権の代表に選ばれた。

世界選手権の3週間前、急遽コーチをタチアナ・タラソワに変更、世界選手権では全ての要素を完璧に決め技術点では6.0満点も取得して総合優勝を果たし日本人選手として10年ぶり3人目の金メダルに輝いた。




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