高橋大輔 | フィギュアスケートの有名選手名鑑

高橋大輔といえば フィギュアスケート界を浅田真央と共に引っ張り、巧みなステップとジャンプで魅了する元フィギュアスケート選手です。 主な実績として2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト2006年トリノオリンピック2014年ソチオリンピック日本代表。

1.高橋大輔

高橋大輔は1986年3月16日 岡山県倉敷市に生まれ、4人兄弟の末っ子で母親の勤めていた理髪店の娘が名付け親で大輔は嶋大輔からとった。関西大学文学部総合人文学科新体運動文化専修卒業、その後、同学部の博士前期課程に進学。

8歳の時家のすぐ近くにあるウェルサンピア倉敷のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた。全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)で素質を見出された高橋は1999年から長久保裕・ 佐野稔両コーチがいる宮城県仙台市のスケートリンクに出向いて指導を受けていた。

しかし、その仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼された長光歌子と仙台で初体面した。同年に初の国際大会となるトリグラフトロフィーで優勝、2001年に全国中学校大会で2連覇を達成し、全日本ジュニア選手権を制した。2002年には世界ジュニア選手権で日本男子として初めての優勝を飾った。

2002年-2003年シーズンから本格的にシニアに参戦するが国際大会での成績は伸び悩み気味だった。環境の変化や怪我によるモチベーションが低下 したことにより、全日本選手権で6位に沈んだが、逆にそのことで気持ちが吹っ切れ、年明けのユニバーシアードで優勝、四大陸選手権では3位となった。

世界選手権では共に出場した本田武史が予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年のトリノオリンピックの男子出場枠が高橋の1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することとなった。ショートプログラムまでは7位と検討したもののフリースケーティングでは冒頭の4回転ジャンプを転倒し、失敗の連続が続き総合15位に終わった。

この結果トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となった。シーズン終了後、コーチ・振付師をニコライ・モロゾフに変えると共に トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた。

2015年-2006年シーズン、スケートアメリカで ISUグランプリシリーズ初優勝を果たし、続くNHK杯では3位に終わったが、ショートではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4を獲得した。

初めて進出したGPファイナルでは銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち全日本選手権はショートにから逆転して初優勝、一枠のトリノオリンピック男子シングル日本代表の座を掴み取った。




トリノオリンピックではショートで5位につけたが フリーは冒頭の4回転ジャンプでの失敗やザヤックルール違反なので得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。

2006年-2007年シーズンNHKで優勝、GPファイナルは 体調不調ながらも最後まで滑りきり日本男子として過去最高の2位となった。全日本選手権では2連覇を達成、2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を達成した。

東京で開催の世界選手権ではショートプログラム3位フリースケーティング1位で日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した。

2007年-2008年シーズン、スケートアメリカで優勝、NHK杯では連覇を達成し、GPファイナルでは ステファン・ランビエールに次ぐ2位となった。

全日本選手権では再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成、四大陸選手権でも歴代最高記録を更新して初優勝、世界選手権はジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。

2008年-2009年シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し右膝を負傷したため出場を予定していた 中国杯を欠場、シーズンの全大会の出場を断念し11月に手術をした。2009年4月より氷上での練習を再開。

2009年-2010年シーズン、10月の フィンランディア杯で優勝、スケートカナダでは表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナルにも出場、全日本選手権で4度目の優勝を成し遂げた。2010年のバンクーバーオリンピックでは総合3位で入賞を果たした。

2010年-2011年シーズンNHK杯では優勝、スケートアメリカでも優勝、全日本選手権では3位、四大陸では 3年ぶり2度目の優勝を達成。世界選手権ではアクシデントに見舞われ総合5位に終わった。

2011年-2012年シーズンNHK杯では4度目の優勝、全日本選手権では2年ぶり5度目の優勝、GPファイナルの四大陸選手権、世界選手権は何も世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位、ショートでは歴代最高得点をマークした。

2012年-2013年 シーズン、GPファイナルにおいて日本男子初のチャンピオンとなった。しかし、四大陸選手権は7位世界選手権の得意と表彰台を逃した。

2013年-2014年シーズン、スケートアメリカでは4位、NHK杯ではショート自己ベストを更新フリーも1位で優勝した。怪我をして挑んだ、全日本選手権では5位に終わった。ソチオリンピックはショートで4位、フリーでジャンプミスが続いて総合6位入賞に留まった。

荒川静香は高橋について、完成の高さで群を抜いておりどんなプログラムでも自分の世界で表現できると称していた。

2.現役引退

2013年のソチシーズンを最後に28歳で現役引退、日本人男子スケーターでは過去最年長記録でした。引退後はプロスケーターとしてアイスショーに参加するなどしている。




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